幸せそうな二人を見てしまったせいで
2011年5月23日 11:06 / カテゴリ:[ 為になるお話し ]
先日、学生時代の友達の結婚披露宴に行ってきました。学生時代はあまりモテるタイプではなかったので、まさか自分より先に結婚してしまうとは思いもよりませんでした。
それにしても、彼はとても幸せそうでしたね。相手の女性もとても綺麗な方で。お互いの出身地も違うのに、一体どこで出会ったのか不思議に思っていたのですが、後日話を聞いてみると、なんと出会い系サイトで二人は出会ったというのです。
出会い系サイトといえば、時々ニュースを目にするので正直あまりいい印象はありませんでした。
だけど、幸せそうに笑う彼を見ていると出会い系サイトはそんなに悪いところじゃないのかもなという気もしてきます。出会い系サイトで知り合った時二人の関係は物理的にも距離がありました。しかし、偶然にも二人の趣味が旅行だったため、お互いの土地に旅行がてら足を運んだそうです。
それぞれ、自分の生まれた土地を案内していくなかで、価値観を共有していき、どちらかともなく結婚を意識し始めたそうです。
もちろん、最初に会うときは女性の方は緊張したそうです。知らない土地に行くわけですし。だけど、直接会ってみるとそんな不安は吹き飛んだそうです。彼の話では、彼女は彼の笑顔に惚れたらしいです。
それにしても、うらやましい話です。幸せそうな二人を見てしまったせいもありますが、自分も結婚したくなってきました。そのためには相手が必要です。自分も、出会い系サイトを利用してみようかなと思っています。
同性同士で好意を持つということは
2011年5月18日 10:31 / カテゴリ:[ 為になるお話し ]
アダムとイブがりんごを食べた日から、男性と女性が子孫を残すためにお互いが恋をしあうようになった。しかし、例外的に同姓を好きになって、異性には見向きもしない人達もいる。
しかし、私の場合はこれとも違う、男性とも、同じ女性とも愛し合うことができてしまう。自分自信でもなぜかはわからないが、変だと思ったことはない。
朝、男性とセックスをしても、その夜に女性とのセックスも出来るのだ。
一般的にアダムとイブのDNAを受け継いでいれば、同性同士での恋愛感情などは違和感を感じるものだろう。しかし、同姓を好きになる人達にとっては、かけらの違和感もなく、ごく自然なことであり、行為なのである。
ある日街を歩いていたときに、あの小素敵だなぁ!、あの人かっこいい!と、だれでもこんなことを思ったことはあるだろう。
それが、恋愛の始まりなのだが、たまたまそれを同姓にそう思ってしまい、恋愛感情と言えるほどの、想いになってしまうのである。そんな感情になると、自然に手をつないで歩けたり、人前でキッスをしても幸せな気分になれるのである。
恋は憧れ。愛は思いやりと信頼、いたわりだと私は思っている。
それらが複雑な感情として入り交じり、恋愛感情となるのではないだろうか。
それらの感情には、男女の別、同姓の別はないように思えてしようがない。
もちろん上記のことには性欲も付いて回る。しかし、精神的な面はなく、性欲だけで繋がる場合もあるはずだ。性欲、食欲、物欲の性欲である。
人間にとって絶対に切り離せない欲である。
男性はザーメンを出す瞬間が最高の快感を味わう。
女性は常に快感があり徐々に登りつめて男性とは、遥かに、比べものにならないほどの快感、いや快楽を味わう。神が与えた出産をする時の激痛のご褒美だと聞いたことがある。この自然の形態に逆らう同性愛というものに踏み込むには、勇気と決意と覚悟が必要ではないだろうか。
人は常に第三者との肉体関係を意識している
2011年5月18日 10:28 / カテゴリ:[ 為になるお話し ]
人は常に、第三者の女性あるいは男性との肉体関係を意識している。
未婚、既婚に関わらずみな同じ感情を持つものである。
既婚者が妻、夫以外の女性、男性と肉体関係を持つことは、それは、不倫だ。
浮気とも言うが、単なる気持ちのうえでの心を移すということではない。
妻、夫というものがありながら肉体関係を持ってしまった不道徳という反社会的な行為である。
浮気も同じである、肉体関係がなければ良いというものでもない。
心を移してしまったのだ。愛する妻、夫がいるにもかかわらず、別の愛する女性、男性ができてしまったのだ。
そんな男性、女声を許すことはできないとお互いは思う。ましてや自分の夫が、妻がそんな行為に及んだら、ただでは済まさないだろう。
ある日、男性と女性が出会って、お互いが心をひかれ合ってデートを重ね、やがて結婚する。しかし、結婚をするまでのふたりには、何も証明をする、目に見えたものはない。それが故にお互いを深く信頼し合おうと務める、いや、信頼できる相手ではないと長くは続かない。
お互いが信頼をしあっているにもかかわらず、どちらも第三者に心を移してしまう浮気をするときがある。本当の信頼とは、愛しあうということはどういう事なんだろう。浮気=別れ、恋人同士の関係解除である。
結婚をすると、婚姻届という証明書、証拠があるにもかかわらず、ましてや、信頼しあって結ばれているはずである。にもかかわらず第三者女性、あるいは男性と肉体関係をもってしまう。夫婦である証明がなされている時には、重大な問題に発展する。
証拠=契約書。と、いうことなのだろう。
比のある方が、負債を負う。
この違いはあるものの、恋人時代も結婚時代もお互いが好き合って、愛し合っているという、心のつながりという眼に見えない何かによって引き合っている。
とても神秘的な行為のはずである。顔も見たくない誰かと毎日顔を合わせて生活をするということなど想像すらできない。
しかし、時には人という生き物は、心のままに、あるがままに、行動をしてしまう時があるものなのだ。十人十色、三者三様、まさにこの言葉通りそれぞれに魅力があり、みたくないものがあり、知らない、分からない所が多ければ多いほど惹かれるものである。知り尽くして、信頼しているはずに人間がそばにいるにもかかわらずである。20年、30年もの間、ひとりの人に思いを寄せ続けるという行為自体が、難しい行為のようにも思える、それが人間という生き物なのだろう。
結論を言ってしまえば、恋愛とは、人それぞれにある価値観の上で成り立っている行為である。
不倫=不道徳、反社会的な行為でもある。
ひとりの人間として、その行為をどのように考えるのか。
ということではないだろうか。
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